牧師からのごあいさつ
小菅翔&祈子牧師
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。(聖書より)」

直江津愛真教会のホームページへようこそ。
小菅翔&祈子牧師は2022年に赴任しました。小菅翔師は牧師になる以前は福祉の仕事に従事していました。人を愛することとは何か、実際に身体で学びたいと思い福祉の仕事に就いた後、関西聖書神学校に入学し、聖書を学びました。父親も牧師で、5人兄弟の末っ子です。趣味は音楽で、福祉の仕事をする以前はプロドラマーを目指していました。賛美が大好きな牧師です。出身は北海道で、同じ雪国新潟で生活できることをうれしく思っています。伝統ある地「上越市」に仕えたいと願っています。
祈子師は、長崎出身で関西育ちです。牧師になる前はパティシエの仕事を大阪でしていました。父親も牧師で、五人兄弟の長女です。関西で長く育ったので新潟では珍しい?関西弁を話します。子どもたちと一緒に遊ぶことが大好きな明るく元気な牧師です。
私たち夫婦はイエス様と同じく上越市を愛しています!
イエス様の愛を一人でも多くの人に伝えて、イエス様と出会う方が起こされるようにお祈りしています。イエス様と出会い、人生が変えられていく方々が起こされますように。
当教会は、統一協会/ものみの塔/エホバの証人/モルモン教ではありません。お困りの方はご相談下さい。
私たちの教会について
私たちの信仰
①神の霊感を受けて書かれた誤りのない神のことばである聖書
私たちは、聖書が神様の誤りのないことばだと信じています。その内容はイエス・キリストの救いについて書かれてあり、福音の真理を示すものです。この聖書を編集したり、付け加えたりは一切致しません。聖書のことばは今の時代においても信仰と生活の模範です。
②父・子・聖霊の三位一体の神を信じます
天地創造をなさった唯一の神、まことの神のもとから遣わされた子イエス・キリスト、そして聖霊を信じています。
イエス・キリストは処女マリアより生まれ、全く罪を犯さず、人間の身代わりとなって十字架にかかりました。そして3日目に復活なさいました。この復活は、永遠のいのちの保証です。
④信仰による救い
私たちに与えられた救いの道は、イエス・キリストを信じる信仰のみです。イエス様を信じ、受け入れるなら、その人は神様の前に義と認められ、永遠のいのちを受け継ぐ神様の子どもとなります。善い行いが罪をきよめるのではなく、キリストの血によってすべての罪から清められます。イエス様の真実さに基づく信仰です。
⑤聖霊のバプテスマ
イエス・キリストを信じた者には、聖霊が与えられます。聖霊が私たちにお住み下さり、罪人である私たちを神様の愛の似姿に変えてくださいます。そして、イエス様と同じ復活のいのちにあずかります。
⑥教会とその使命
教会は洗礼(水のバプテスマ)と聖餐式を大切にしています。洗礼は、神様に罪を悔い改め、救い主を信じる際に受けるものです。聖餐式は、イエス様の十字架による犠牲と死を思い起こす儀式です。聖餐式は洗礼を受けた人があずかることができます。
教会には使命があります。イエス様が再びこの地上に来られる日が訪れるまで、福音を宣べ伝えることです。
※当教会の信仰は日本イエス・キリスト教団の信仰告白に基づいています。
教会員のあかし

Mさん(60代女性)
私は子どものころから、宗教の興味がありました。
よくお坊さんに「天国はどうしたら行けるの?」と聞いていました。
その答えは「よいことをすると、天国に行けるし、わるいことをすると地獄に行くんだよ」でした。
しかし、聖書のお話を聞き、イエス様と出会いました。
どんなに罪にまみれていても、神様は私を赦し、愛してくれることがわかりました。
私はようやく天国への生き方の答えを見つけることができました。

Iさん(40代・女性)
私は、若い頃から心配症で物事に左右されやすい性格でした。特に23歳の頃、つらいことがあったときに何も手につかず崩れていく自分をみて、どんな状況の中でもゆるがないものがほしいと願うようになりました。仏教を心のよりどころとしたいと、四国遍路を徳島から室戸岬まで歩いたこともありました。しかし、平安が得られず、ちょうどその頃教会に通い始めた母の影響で、当時住んでいた京都市の教会に通い始め、その5ヶ月後に洗礼を受けました。
洗礼を受けてから17年、つらい事もたくさんありました。特に離婚という痛みを通して、神様に信頼する大切さを教えていただきました。自分の人生はもう終わりだと絶望し、また相手を心の中でさばきたいと思い、戦い苦しみました。しかし、神様の御前に出て、みことばに従い歩むとき、神様は平安を与え、道を示して下さいました。私の思い描いていた人生とは違いましたが、この所を通らなければ気付く事ができなかった事もたくさんありました。
『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。詩篇23篇』
教会に通い始めたころ、出会ったみことばです。今も変わらず、私とともにいて導き続けて下さっている神様に感謝いたします。
これからも、様々なことがあると思います。神様に変えていただけなければならない部分がたくさんある弱い私ですが、どんなことがあっても神様がおられる場所にとどまり続け、周りの方々に主を証していく者として用いられたいと願っています。